田中吉政(たなかよしまさ)
1548年〜1609年
主君:宮部継潤→豊臣秀次→秀吉→徳川家康→秀忠
戦国武将
宇都宮鎮房の墓は天徳寺 | 武将の墓所巡り(福岡県築上郡)
宇都宮鎮房 / 城井鎮房
(うつのみやしげふさ / きいしげふさ)
1536年〜1588年
主君:大内義隆→大内義長→大友義鎮→島津義久→豊臣秀吉
母里太兵衛の墓は麟翁寺 | 武将の墓所巡り(福岡県嘉麻市)
母里友信/母里太兵衛
1556年〜1615年
主君:黒田官兵衛→黒田長政
黒田八虎の一人
小早川隆景の供養塔 | 武将の墓所巡り(福岡県宗像市・宗生寺)
小早川隆景(こばやかわ たかかげ)
1533年〜1597年
毛利元就の三男
小早川家の継ぎ、当主となる。
小笠原長次の墓は天仲寺公園(天仲寺山) | 武将の墓所巡り(福岡県築上郡)
小笠原長次(おがさわらながつぐ)
1615年〜1666年
主君:徳川家光→家綱
豊洲中津藩初代藩主
小笠原忠真の墓は福聚寺 | 武将の墓所巡り(北九州市小倉)
小笠原忠真(おがさわらただざね)
1596年〜1667年
主君:徳川秀忠→家光→家綱
小笠原忠真は豊前小倉藩の初代藩主。
小笠原秀政の次男ではあるが、
父と兄が大阪夏の陣で戦死したため、
小笠原家の家督を継ぐことになりました。
乃美宗勝の墓は宗勝寺 | 武将の墓所巡り(福岡市東区)
乃美宗勝(のみむねかつ)
1527年〜1592年
主君:小早川隆景
安芸の国人領主。
毛利氏・小早川氏の家臣として活躍。
沼田小早川氏の庶流浦氏の当主であり、
浦宗勝とも言う。
高橋紹運の墓は岩屋城跡 | 武将の墓所巡り(福岡県太宰府市)
高橋紹運(たかはしじょううん)
1548年〜1586年
主君:大友宗麟
立花宗茂の実父
高橋紹運は岩屋城と宝満城を拠点に、
筑前国を支配した武将。
軍事力に秀でて、北九州を中心に
勇将として名を馳せました。
立花道雪の墓は梅岳寺 | 武将の墓所巡り(福岡県糟屋郡)
立花道雪(たちばなどうせつ)
戸次鑑連(べっきあきつら)
1513年〜1585年
主君:大友義鑑→大友宗麟
立花道雪は大友氏の重臣として、
北九州を中心に名を馳せた猛将です。
本能寺の変 秀吉は何歳だった?
本能寺の変がおき、
中国地方で毛利氏と戦っていた秀吉は、
信長の死を聞き即座に京に戻る
「中国大返し」という異業を成し遂げ、
明智光秀を打ち滅ぼし、
天下統一への一歩を踏み出した。