立花宗茂(たちばなむねしげ)
1567年〜1643年
主君:大友宗麟→義統→豊臣秀吉→秀頼→改易→徳川家康→秀忠→家光
戦国武将
菊池武時の墓は菊池神社 | 武将の墓所巡り(福岡市城南区)
菊池武時(きくちたけとき)
1292年〜1333年
菊池氏 第12代当主
今の熊本あたりをおさめていた豪族です。
武藤資頼・少弐資能の墓!武将の墓所巡り(福岡県太宰府市)
武藤資頼とはどんな武将?
武藤資頼(むとうすけより)
1160年〜1228年
主君:平知盛→源頼朝
黒田官兵衛の墓は崇福寺 | 武将の墓所巡り(福岡市博多区)
稀代の名軍師
黒田官兵衛と言えば、
2014年に大河ドラマの主人公に
抜擢されたほど、
誰もが知る有名な人物ですね!
陶晴賢(陶隆房)の辞世の句は?一本気な男の生き様がかっこいい
平安時代から戦国時代初期までの長期間、
西国一の大名として名を馳せた大内氏。
その大内家に家老として仕え、
大内家を思うばかり、
弱き当主である大内義隆を討ち
新しい当主を擁立するなど
大胆な活躍をしたのが陶晴賢(陶隆房)です。
厳島合戦中の毛利元就の名言!チャンスを逃さないようにする言葉
毛利元就の戦の中で有名な「厳島合戦」。
厳島にある宮尾城を攻撃中の陶晴賢(陶隆房)に対して、
毛利軍が奇襲をかけて大勝利をおさめた戦いです。
嵐の夜、毛利軍の評定で夜襲をかけるべきかどうかで
論争が起こります。
百万一心とは?吉田郡山城跡にある毛利元就の名言
中国の覇者、毛利元就は多くの名言を残しています。
その中でも有名な言葉の一つに「百万一心」があります。
この写真の石碑(実物ではない)は、
吉田郡山城(安芸高田市)の拡張工事の際に
人柱の代わりに使用されたものといわれています。