井上之房(いのうえ ゆきふさ)
通称、九郎右衛門(くろうえもん)
1554年〜1634年
黒田八虎の一人
主君:黒田職隆、孝高、長政、忠之
せごどんと奄美のとぅま(愛加那)との子供はその後どうなる?
西郷隆盛が幕府に追われて
奄美大島に潜居した際、
島で島民の娘と出会い夫婦となります。
高田又兵衛(宝蔵院流槍術)の墓は生往寺 | 福岡県北九州市
高田吉次/高田又兵衛
(たかだよしつぐ/たかだまたべえ)
1590年〜1671年
宝蔵院流高田派槍術の祖
小倉藩士
田中吉政の墓は真勝寺 | 武将の墓所巡り(福岡県柳川市)
田中吉政(たなかよしまさ)
1548年〜1609年
主君:宮部継潤→豊臣秀次→秀吉→徳川家康→秀忠
宇都宮鎮房の墓は天徳寺 | 武将の墓所巡り(福岡県築上郡)
宇都宮鎮房 / 城井鎮房
(うつのみやしげふさ / きいしげふさ)
1536年〜1588年
主君:大内義隆→大内義長→大友義鎮→島津義久→豊臣秀吉
母里太兵衛の墓は麟翁寺 | 武将の墓所巡り(福岡県嘉麻市)
母里友信/母里太兵衛
1556年〜1615年
主君:黒田官兵衛→黒田長政
黒田八虎の一人
小早川隆景の供養塔 | 武将の墓所巡り(福岡県宗像市・宗生寺)
小早川隆景(こばやかわ たかかげ)
1533年〜1597年
毛利元就の三男
小早川家の継ぎ、当主となる。
小笠原長次の墓は天仲寺公園(天仲寺山) | 武将の墓所巡り(福岡県築上郡)
小笠原長次(おがさわらながつぐ)
1615年〜1666年
主君:徳川家光→家綱
豊洲中津藩初代藩主
小笠原忠真の墓は福聚寺 | 武将の墓所巡り(北九州市小倉)
小笠原忠真(おがさわらただざね)
1596年〜1667年
主君:徳川秀忠→家光→家綱
小笠原忠真は豊前小倉藩の初代藩主。
小笠原秀政の次男ではあるが、
父と兄が大阪夏の陣で戦死したため、
小笠原家の家督を継ぐことになりました。
乃美宗勝の墓は宗勝寺 | 武将の墓所巡り(福岡市東区)
乃美宗勝(のみむねかつ)
1527年〜1592年
主君:小早川隆景
安芸の国人領主。
毛利氏・小早川氏の家臣として活躍。
沼田小早川氏の庶流浦氏の当主であり、
浦宗勝とも言う。