高橋紹運の墓は岩屋城跡 | 武将の墓所巡り(福岡県太宰府市)

高橋紹運(たかはしじょううん)
1548年〜1586年
主君:大友宗麟
立花宗茂の実父

 

高橋紹運は岩屋城と宝満城を拠点に、
筑前国を支配した武将。
軍事力に秀でて、北九州を中心に
勇将として名を馳せました。

 

紹運という名前は法名であり、
晩年につけた名前です。
元々は吉弘鎮理(よしひろ しげまさ)
といい、大友家の重臣である
吉弘家の人間でした。

 

後に筑後高橋氏の名を継ぎ、
高橋鎮種(たかはし しげたね)となる。

 

大友氏が弱体化するきっかけとなった
耳川の戦い後も、弱っていく大友氏を
支え続けた忠義者です。

 

島津氏が大友氏を滅ぼすべく
岩屋城、宝満山城のある太宰府まで
北上してきた時に
763名という少数の兵で岩屋城に籠城。
半月も持ちこたえた末に討ち死。

 

最後は切腹し腸を敵に投げつけた
という逸話があるほど、
壮絶な最後だったと伝えられています。

 

墓は岩屋城跡の近くに

住所:〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺704 付近

墓は岩屋城跡地にはなく、その近くにあります。
この墓へ続く道がやや見つけにくい。
岩屋城跡入り口の逆側に入り口があります。
小さな看板があるのを見過ごさないように注意です。
また、駐車場もありませんので路駐です。

 

 

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