宇都宮鎮房 / 城井鎮房
(うつのみやしげふさ / きいしげふさ)
1536年〜1588年
主君:大内義隆→大内義長→大友義鎮→島津義久→豊臣秀吉
宇都宮鎮房は福岡県築上郡築上町にあった
城井谷城の城主。
栃木県の宇都宮と何か関係が?
福岡県の宇都宮氏(城井氏)は、
豊前宇都宮氏といい、
栃木県の宇都宮氏の分家にあたります。
宇都宮家の初代当主は藤原宗円、
その次男である中原宗房が1200年ごろに
豊前に役職を与えられたことが
豊前宇都宮氏の始まりとされています。
中原宗房が豊前宇都宮氏の初代当主ということです。
戦国時代に入ると、西国一の勢力を誇った
大内家の傘下に入りました。
大内家が毛利に飲み込まれた後は大友家へ、
大友家が耳川の戦いで島津家に敗れた後は島津家へ、
秀吉の九州征伐の後は秀吉に従うなど、
抜群の処世術で戦国の世を生き残っていきます。
しかしながら、
領地に固執しすぎたことが仇になります。
宇都宮氏がいる豊前が
黒田官兵衛率いる黒田家に与えられ、
豊前宇都宮氏には伊予国への移封を
命じられるがこれを拒否。
秀吉及び黒田家と争いになり、
当主鎮房は謀殺、
前当主長房は黒田家に攻められ討ち死、
次当主朝房は官兵衛により暗殺という、
親子三代で非業の最後を遂げました。
親子三代の墓は月光山天徳寺に
寺名:天徳寺(てんとくじ)
住所:〒829-0123 福岡県築上郡築上町本庄361
宗派:天台宗→曹洞宗
創建:1332年
開基:宇都宮頼房(五代当主)
それぞれの墓石には亀裂が入っており、
それは三人の傷跡と同じ位置なんだとか。
この親子の無念は怨念となって残っていると言われています。