有馬豊氏(ありまとようじ)
1569年〜1642年
主君:渡瀬繁詮→豊臣秀吉→徳川家康→秀忠→家光
筑後国久留米藩初代藩主
有馬氏といえば、
肥前の有馬氏かと思いきや、
系列が違います。
こちらの有馬氏は摂津有馬氏。
元々は赤松氏の庶流で有馬赤松家とも言われます。
以下が主な活動です。
・祖父の正室が室町幕府管領の細川吉兆家の出身であるため、豊氏は細川澄元の孫になる。
・次男のため、姉婿の渡瀬繁詮に仕える
・朝鮮出兵に参戦
・渡瀬繁詮が秀次事件で切腹になり秀吉に仕える
・遠江国横須賀3万石の大名になる
・徳川家の御伽衆として働く
・関ヶ原の戦いの功績で丹波福知山6万石に加増のうえ転封。初代福知山藩主となる
・1620年、これまでの功績で筑後久留米に21万石を与えられ国持ち大名となる
・1637年、島原の乱に参陣
・1642年、74歳で死去
墓所は久留米市の梅林寺
寺名:梅林寺(ばいりんじ)
住所:福岡県久留米市京町209番地
宗派:臨済宗
創建:1621年
開基:有馬豊氏
元々は丹波国福知山にあり
瑞巌寺という名前でしたが、
豊氏が久留米へ移封されるタイミングで、
久留米に移しました。
名前は父親の有馬則頼の戒名である
「梅林院殿」にちなんで梅林寺となりました。
有馬豊氏の墓だけではなく、
有馬家一族の墓が残っています。