蒲池鎮漣(かまち しげなみ)
1547年〜1581年
主君:大友宗麟→龍造寺隆信
蒲池氏17代当主
蒲池氏は鎌倉時代からの
筑後国の一族。
鎌倉時代は地頭職、
室町時代は国人領主、
戦国時代は柳川城主。
その16代当主である蒲池鑑盛の
次男として生まれた鎮漣。
長男は庶長子だったため、
鎮漣が嫡流の家督を継いだ。
耳川の戦いで、
父親と弟を失った鎮漣は
大友氏から離反。
龍造寺氏に近づく。
龍造寺氏の傘下に入るものの、
龍造寺隆信と折り合いが合わず対立。
柳川城を攻められ長期籠城するも、
兵糧不足もあり最後には和睦。
隆信の娘(玉鶴姫)を娶ることになる。
しかしながら龍造寺氏への不信は消えず、
南の島津氏へ接近を図る。
どうしても柳川をおさえたい
龍造寺隆信に宴席に招かれ、
そこで襲撃され自害に追い込まれました。
その後、柳川は攻められ、
蒲池一族は滅亡へ。
この事件で龍造寺隆信は、
家臣や国人衆からの不信を買うことになり、
家の滅亡の要因の一つになったといわれています。
蒲池鎮漣の墓は帝釈寺に
寺名:帝釈寺(たいしゃくじ)
住所:福岡県みやま市高田町上楠田3459
宗派:黄檗宗
創建:821年
開基:三毛中納言師親
1589年に蒲池鎮運が曹洞宗寺院として再興。
しかし龍造寺隆信の兵火で消失。
その後、柳川藩主・立花鑑虎の懇請で鉄文和尚が中興。
現在に至る。
駐車場から寺の正面がわかりづらいため注意が必要です。
寺の右奥に墓所があります。
少し林の中に入るのでわかりづらいかもです。
下に墓所への行き方の動画を掲載しましたので参考にしてください。