平知盛(たいらとももり)
1152年〜1185年
平清盛の四男
平知盛は智勇に秀でて、
人間的魅力も備わった優秀な
武将だったと言われています。
清盛からも期待をされ、
「入道相国最愛の息子」と
周囲からは呼ばれていました。
清盛とともに各地で戦いに
明け暮れた知盛ですが、
清盛の死とともに源氏に追い込まれていきます。
そしてその最後は、
壇ノ浦の戦いでの壮絶な入水自害です。
体が浮いてこないように
碇を担いでとも、鎧を2枚着て
入水したとも言われています。
そんな知盛の墓がなぜ久留米市に!?
説によると、壇ノ浦から敗走した
平知盛と平氏の残党は
筑後の吉木(久留米市草野)に向かっていました。
しかし、頼りにしていた草野氏に裏切られ、
平知盛は捕縛され最期を迎えました。
この出来事を憐れんだ村人によって、
供養塔が建てられたんだそうです。
平知盛の墓、平神社
名前:平神社
住所:福岡県久留米市田主丸町中尾1440-2