大内盛見(おおうち もりはる)
1377年〜1431年(享年55)
主君:足利義満→義持→義量→義教
大内氏11代当主
周防・長門・豊前の守護大名
左京大夫従四位上
筑前の所領をめぐって、少弐満貞や大友持直と対立し、筑前国怡土郡にて戦死しました。
家臣の杉孫右衛門が首を持ち帰り、粕屋町酒殿の地に一宇建立しました。
文化人としても優秀で、京都五山(※)の僧たちと交わり禅を修めたり、宇佐神宮の造営の支援、興隆寺に供養会を開くなど文化人としての功績も評価されています。
※京都五山・・・足利氏が定めた寺の格付け
南禅寺 – 別格
天龍寺 – 第一位※
相国寺 – 第二位※
建仁寺 – 第三位
東福寺 – 第四位
万寿寺 – 第五位
墓は泉蔵寺
寺名:徳鳳山崇月院 泉蔵寺(せんぞうじ)
住所:〒811-2303 福岡県糟屋郡粕屋町酒殿1330
宗派:浄土宗
創建:1431年?
盛見の法名が崇月院殿ニ品大先徳鳳大居士のため、徳鳳山崇月院 泉蔵寺と名付けられています。