黒田 一成(くろだ かずしげ)
1571年〜1656年(享年86)
主君:黒田孝高→黒田長政→黒田忠之
黒田二十四騎・黒田八虎
三奈木黒田家の初代当主
荒木村重の家臣だった加藤重徳の次男として生まれた。
村重が織田信長に謀反を起こした時に、説得に向かった黒田官兵衛は牢獄に捕らえられた。その際に、官兵衛の世話をしたのが一成であった。官兵衛はその恩を忘れず、村重が没した後に、一成を養子として迎え入れ大切に育てられた。
四国征伐や九州平定に従軍し経験を積む。耳川の戦いでは2つの首級を挙げ名が知られるようになる。
朝鮮出兵や関ヶ原の戦いでも活躍し、現在の福岡県朝倉市に領地を得て、三奈木黒田家の初代となる。三奈木黒田家は福岡藩の大老を世襲する高い位の存在として、明治に至るまで福岡藩を支え続けた。
墓は清岩寺
寺名:茶臼山 清岩寺(せいがんじ)
住所:〒838-0023 福岡県朝倉市三奈木15
宗派:曹洞宗
創建:1624年