武藤資頼とはどんな武将?
武藤資頼(むとうすけより)
1160年〜1228年
主君:平知盛→源頼朝
武藤資頼は平安時代後期から
鎌倉時代前期に活躍した武将です。
藤原道長の後裔とも言われる。
まさに平家全盛期に育ち、
平家滅亡〜鎌倉幕府成立の激動の時代を
生き切った武将。
九州太宰府の少弐職に任じられ鎮西奉行に就任。
さらには、肥前国、筑前国、豊前国、
壱岐国、対馬国の守護となった。
子供は少弐を名乗り、
その後は北九州の名門である
少弐氏に繋がっていく。
子供、資能とはどんな武将?
少弐資能(しょうにすけよし)
元は武藤資能
1198年〜1281年
主君:藤原頼経→頼嗣→宗尊親王→惟康親王
少弐氏の2代目当主。
北九州に勢力を広げる。
蒙古との折衝にあたったり、
元が襲来した時には果敢に戦い、
元軍の駆逐に成功した。
墓所の所在地
住所:〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺4丁目16